先日、上智大学で「死の哲学」という授業を長年受け持たれていたアルフォンス・デーケン先生がお亡くなりになりました。

先生には、私が所属していた上智大学管弦楽団の顧問を長年引き受けてくださり、年2回の定期演奏会だけでなく、毎年4月に山梨県の山中湖で行われていた新入生歓迎合宿に必ず参加くださっていました。その際、かならず一芸を披露してくださり、しかも、毎年寸分違わぬ芸ゆえ、1年生、2年生、3年生、4年生、それぞれ笑いの質が異なっていたのが印象的でした。私も当団の団長をしていて様々なやりとりをさせていただいたこともあり、強烈な印象が残っています。

ところで、デーケン先生は、「死の哲学」というタイトルの授業をお持ちで、私も受講し、また、書籍も多数出版し、新聞等にもたびたび登場なさっていました。それゆえ、「死の哲学」という言葉が強烈に私の頭の中に、あるのです。

しかし。

中身はまったく記憶にない。

びっくりするくらい記憶にない。

記憶にないのですが、そのタイトルだけは、脳裏に焼きついている。

これは、すごいことです。

そして、折に触れて、この「死の哲学」という言葉がうかびあがってくるのです。

実は、それでいいのだと、今、心から思っています。