こんにちは!

2019 年は、6月、7月とまるまる梅雨らしい梅雨を経て

8月に入って、猛暑が続いています。

昨日、私は丸々、趣味の一日でした。

庭掃除のあと、陶芸登り窯の修復と掃除をしていました。

というのも、今年の長雨で、登り窯の真横から竹が顔出し。

登り窯の下に入り込まれたら大変ですので、入り込んだ根に沿って2メートルほど掘り進め、

根を掘り出し、

埋め戻し、という作業をしていました。

暑さの中で、体を動かし、私としては、スッキリでした。

一方、温度計は35度を超え、

熱中症患者のためか、救急車のサイレンがなんども行き交い、

ガスメーターの計測にきたお兄さんは熱中症で調子を崩し、

日中、電気が1時間ダウンし、

と、東京は一日夏日夏日で盛り上がりました。

が、私は元気。

というのも、我が家にはクーラーがないからです。冬は薪ストーブ一本。

私は、マイナス10度から40度までは、日常生活をおくることができる自信をもっています。

(もちろん、暑いとか寒いとかは感じます。ただ、それを対処できる体のシステムづくりをしている、ということです)

ですから、冬は、仕事等特に対人対外的に必要にせまられない限り、半袖に裸足ですし、夏はだらだら汗を流しながら、シャツをとりかえ、シャワーを浴びて、やりすごします。

暑い時に必要なのは、水分と塩分。とくに、塩分は不可欠です。飲料水だけとっていると、体内の塩分濃度をいじするために汗をかきすぎて、体力を消耗します。暑い最中には、水と、梅干しはセットで不可欠です。

とはいうものの、昨日は家に戻ると、妻と息子が揃って「クーラーを買うべきだ」と訴えてきました。

妻は、今、療養中で、家で寝ている時間が長く、あやうく熱中症になりかけ、息子の忠告で近くの喫茶店に避難したというのです。親孝行な息子です。

そこで、夕食のあと、約2時間にわたり、「我が家にクーラーは必要か」というディベートタイムになりました。

私のクレームは、クーラーは自宅には不要。火力をつかってタービンを回し電気をおこし、電線を経由して、空気を熱したり冷ましたりすることは、とてつもなく無駄であるというものです。もし、熱するならば、電線を経由せずに、石油・石炭・ガスを直接温め、空気中でもやして熱源をえればいいわけですし、冷やすために石油・石炭・ガスを燃やして冷媒のエネルギー源にするというのは、広く環境をとらえれば、矛盾した行為で、環境破壊を促進する、というものです。そして、そもそも、空気そのものを冷やすことはできません。クーラーの原理は、冷媒を利用して、限られた室内の熱い空気をとりだし、外に放出しているだけで、空気そのものを冷やしているわけではないからです。

暑ければ、クーラーを使うという手段以外の、涼しい場所移動するか、他の方法(水に入る、涼しい素材の服を切る、アスファルト化をやめ、緑地を増やす、白色の建物を増やすなど)をとるべきです。

実際、1970年と2010年のピーク時の電力供給量を比較すると、びっくりする数字となります。1970年の最大需要電力は約4896万kWですが、2010年には約1億7913万kW。工業化については、すでに1970年にすんでいますから、産業面での電力消費が増えたのではありません。主に、生活空間の電化、はっきりいえば、クーラーの普及によります。

それまでは、なんらかの生産性のために、電気の消費が増えていきました。GDPの拡大と電力消費拡大がほぼパラレルとなるのはそのせいです。しかし、クーラー利用はこの傾向からはずれます。

たとえば、仕事の能率を上げるため、勉強に集中するため、満員電車の移動のため、医療行為のため、たくさんの人が一つの空間で活動するため、といった、なんらかの行動目的のためにクーラーをいれるのであれば、受給バランスも、バランスシート上も、地球環境上の予測も、ある程度可能です。

しかし、現在日本においては、「ある行動をとるために、クーラーのスイッチを入れる」のではありません。

たんに「暑いから」クーラーのスイッチを入れる、のです。

暑さは人間がコントロールできず、涼しくしたい空間には制限がなく、さらに面倒なことに、暑さ、は、人の体感により異なります。

これは、火力発電に頼る現在の発電状況からすると、日本人が暑さを感じると無制限に火を燃やし、CO2を排出し、さらに温暖化を招くという負のスパイラルを生み出します。

ですから、私のクレームとしては、公共施設以外、特に住宅にはクーラーを備えるべきではない、ということになるのです。

住宅は多くの人がすし詰めになる場ではなく、生産性の求められる空間ではないのです。

そして、本当に暑い猛暑日は、公共施設やホテルを利用すべきだ、といったような代替案はいくらでも考えられ、その方が経済的でもあると主張しました。そして、もし、無制限にクーラーを増やすのであれば、火力発電以外の発電方法(風力・地熱・波力(水力)・バイオ・太陽光)の増加分だけ増やすというしばりをつけるべきだ、と主張しました。

これに対し、高校生の息子は、大反対。特に、生産現場から引退した高齢者こそ、熱中症で亡くなることのないように、社会保障制度の一貫として、人権の一部として、クーラーを備えるべきだという論を唱えました。

話は、我が家にクーラーを入れるべきか否か、から、社会保証制度・年金問題・人権問題・地球環境問題にまで広がりました。

そして、ディベートとしては、「家庭にはクーラーを入れるべきではない、暑ければ、その間だけでも公共施設を利用すべきだ」という結論に達しました。

ただし。

今日これから、人生ではじめて、クーラーを買いに行きます。

妻の体調のため、上記の議論を踏まえた上で、我が家が稼ぎ出す太陽光発電の分は使ってもいいだろう、ただし、そんな縛りは、スイッチ一つで涼しさが得られる欲望の前には一撃だろうから、そのかわり、自然エネルギー開発にさらに積極的に投資をしていこう、ということになったのでした。

それでは、行ってきます。

(写真は、フランス・ブルゴーニュ在住の友人宅のプール)